セミリタイア記事はセミリタイアを目指す人の娯楽
ひと昔に比べてセミリタイアやFIREに関する記事を良く見かけるようになりました。
私もブログ村のセミリタイアのブログを見たり、東洋経済の記事や日本経済新聞の記事を見たりしています。
参考にするというよりは、読み物として読んでいることが多いです。
一種の娯楽ですね。
お金もかからないし、自分だったらどうするかということを考えながら読むとエンタメとして楽しめます。
たまに「この人ホントにセミリタイアしてんのかな。違うんじゃないの?」と思うことがあります。
今日はそんな感覚を覚えるケースについて書こうと思います。
セミリタイアした人の謎フレーズ
たまに見かけるフレーズに、自分の支出からセミリタイアできるだけの資産が貯まると、これまで言わなかった言いたいことを言えるようになって「仕事が上手くいくようになった。」と言う人がいます。
これは結構疑問です。
実際、私も既にセミリタイア可能な資産は作れていますが、「仕事が上手くいくようになった。」とか「楽しくなった。」なんてことはありません。
仕事が嫌いだから「セミリタイア」したいのであって、何か「楽しい」と思える要素があれば、わざわざ仕事を辞めてセミリタイアを目指したりはしないのです。
仕事が楽しければそのまま働けば良いです。
給料という定期的な収入という名の「麻薬」を手放してまでセミリタイアする必要はありません。
セミリタイアが見えている時点で抜きに入るのが普通
言いたいことを言って仕事が上手くいく。ということは「言った内容は、仕事をする上で有用なこと」を言っているということです。
これは変です。
セミリタイアしようという人がわざわざ職場に波風を立てようとしているこもそうですが、仕事にそんなに「興味」を持っていることがオカシイです。
セミリタイア可能な資産を貯めた後の仕事は「とりあえず大過なく過ごす時間」になります。
例えるなら、55歳で役職定年になったオッサンのように、ただ無難に仕事をすることになります。
ここで言う無難は「仕事をして無難」なわけではありません。
彼ら彼女らは役職者になった人々であるので、定時になればスッと消え、役職時のコネを使い全力で仕事から逃げます。
社畜は加点方式のように見えて、その実減点方式の側面が強いので「何もしなければプラスマイナス0」で無難に仕事をしているという評価になったりします。
その辺りの加減は絶妙で、長く同じ会社に居た凄みを感じます。
つまり定年が見えている人達と同じように、そもそも「仕事」に対して上手くいかせようとか、昇進しようといった熱量が、セミリタイアが見えている人にそもそもある訳がないのです。
面倒事になりそうなら、事前に避ける動きはしますがそれで評価されたりはしないでしょう。
本当にセミリタイアが見えている状態で、かつセミリタイアするつもりで働いているなら、仕事は「定時まで居て」、居るついでに「何か作業をする」程度のものになるはずです。
そこに仕事に対する興味などあるはずも無いのです。
そうならないと言うことは、「仕事に注力する必要がある人=セミリタイアしない人」ということになります。辞めるまで全力で働こうという人は超少数派だと思います。
なぜなら、セミリタイアまで10年以上、通常20年以上は社畜を続けているのですから、とっくに磨り減ってしまってセミリタイアを目指していない人でも仕事に興味を持っている人は少ないはずです。
そんな訳で、セミリタイアしようとしている人が「仕事を上手くいかせよう。」なんてことは考えないでしょうということです。
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