人は安心を求めてFIREするのか?
人は安心したい生き物だと常々思うことがあります。
最近、FIREしたい人が増えてきているというニュースもありますが、これは「雇われで働きたくない。」と感じる人が増えてきているというよりは、以前より社畜が安全、安心な立場ではないことが一因になっているのだと思います。
年功序列、終身雇用の時代であれば、とりあえず社畜になって働いていれば給料は毎年上がって、そのまま上がった給料を定年まで貰い続けて生活できて、定年退職後は年金で暮らせるという生活でした。
これは安心な状態と言えるでしょう。
仕組み的にも安心ですし、破綻は少ないと感じる人は多いと思います。
今は年功序列でも無ければ終身雇用でもありませんし、年金も生活費をすべてカバーしてくれる程の額が貰えることはありません。
安心感は激減した割に、社畜の労働は強化されています。
ITで管理は厳密になりましたし、ノルマや仕事量も以前より増えています。
その割に給料は増えないし、年金も払う額は増えているのに貰える額は減っています。
こんな状態では社畜は「安心」できません。
国も会社も安心を提供できなくなったからこそ、社畜たちは安心を求めて本業と会社とは関係ない副業をして、余った資産を投資をして年金以外のインカムゲインやキャピタルゲインを得る生活を目指しているのだと思います。
これは会社の仕組みや国の仕組みとは別の場所から安心を得ようとする動きとも言えるでしょう。
ゾンビのように安心を求めて彷徨っているのが、今の日本の社畜だと思いますが「安心」を求めるだけではFIREできないのも事実です。
FIREを目指し始めると今度は確信を探し始める
FIREしようと考える切欠の1つが「安心」だと思います。
つまり、(死ぬまでお金の心配をしないでも生活できる)安心を得たいと考えて、FIREを目指していると言えるでしょう。
ただ働きたくないだけであれば、仕事を辞めれば良いのです。
ですがFIREを目指している社畜が、後先考えずに仕事を辞めて無職になることは稀でしょう。
それは辞めた後のことを考えるからです。
大の大人なら当然と言えば当然ですが、社畜を辞めた後にどうやって生活するのかを考えて「これなら行けるだろう」くらいの当たりは付けて辞めるはずです。
それが副業収入なのか、配当収入なのか、4%ルールなのかは人それぞれでしょうが、何らかの確信がなければFIREしないと思います。
それもこれも、結局安心を求めているからでしょう。
FIREした後に「不安しかない」と思っているようなら、なかなかFIREを決断することはできないはずです。
それこそ私のように、何度もFIRE達成時期を延長することになるでしょう。
で・・・今ゴール付近ですが
働きたくないと思いつつも、安心も求めてFIREを目指してきた私ですが、あと半年ほどでFIREすることになります。
今はFIREできるほどの資産があり、嫌ではありますが仕事を続けることによって毎月の収入は確保できます。
いわゆる「安心」な状態です。
安心は十二分ですが、それでもFIREはするつもりです。
FIREすれば、毎月定期的に貰える給料が無くなるので、今以上の安心感は無くなるでしょう。
安心はFIREの切欠にはなるけど、安心のためだけに社畜を続けるということもないということなんでしょうね。
多少の不安はあっても、働きたくないからFIREする。
働きたくない気持ちと、安心を得たい気持ちのシーソーゲームなのかもしれません。
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