社畜の楽しみ少な過ぎ問題
社畜をしていると、娯楽的な要素から離れた生活をすることになります。
もちろん休日は好きなことをできますが、平日は毎日忙しく働いているので休日は寝て過ごすという人も多いのではないでしょうか。
そんな生活に慣れてしまうと、娯楽を楽しむことは減っていきます。
特にそういったケースに陥りやすいのはアウトドアの趣味を持っている人ではないでしょうか。
外に出ないと娯楽を楽しめない。
だけど疲れ過ぎてて、外に遊びに行く気力が湧かない。
こんな悪循環が想定されます。
若い時は体力的に遊び歩く元気も湧くでしょうが、40代に突入すると休日出かけるのはかなり億劫になってきます。
インドアな趣味だと疲れていようが家でもできるので、休日に楽しむ気力も残っています。
昼頃にもそもそ起きて、楽しむわけですね。
もし楽しむ余裕が残っていないようなら、精神的に病み始めている可能性がありますね。
社畜の休日の過ごし方は人によって千差万別、好きにすれば良いです。
ゆっくり寝て過ごそうが、朝から遊び歩こうがその人の嗜好次第です。
休日は好きに過ごせますが、平日の社畜はそれほど大差ない生活をしている人が多いのではないでしょうか。
朝起きて、仕事に行って帰って来てからちょっと好きなことをして明日に備えて寝る。
この大枠から外れる社畜はシフトで働いている人か、家に帰れないくらい長時間労働させられるブラック企業の社畜くらいでしょう。
そんな中で社畜にとってのお楽しみは給料日だけという人も多いのではないでしょうか。
今日はそんな社畜についてのお話です。
長くなれば長くなるほど薄くなる社畜でいる意味
社畜歴が長くなればなるほど社畜を続ける意義は薄くなっていくと思います。
入社して間もない頃は、新鮮な体験だったことも数年すれば慣れてきます。
年々新しいタスクが追加されたり、別の業務に携わることもあるでしょう。
続けることによって評価を得て昇給することもあるでしょうが、社畜の仕事の枠からは外れることがありません。
つまり、これまでの体験から大きく違うことをやることは稀です。
それも当然で、会社側もこれまでやったことの無いことを急に振ってきたりはしません。
営業をやってきた人は売る商材が変わったとしても営業をするでしょうし、経理は経理を担当するでしょう。
もし全く別の業務をやることになったという場合は、「リストラされるんじゃないか?」と心配した方が良いでしょうね。
30歳以降は仕事に価値を感じなくて草
そんな社畜の枠から外れない生活が長年続けば、特に何も感じることなく惰性で社畜生活を続けていくことになります。
そうなると、社畜を続ける意味は「毎月給料日になると振り込まれる給料」を目的に働くことになってくるわけです。
意外と知らない「50代で仕事の意義を見失う」という現実という記事を見ました。
日本の社畜は自分ひとりで自律的に決めて、その結果が給料に反映されるといった形ではありません。
良くも悪くも集団で合意を形成して責任の所在はあいまいな形にして仕事が進みます。
更に一度上手くいくと、次も同じ流れを踏襲するという形になるので、長い間その仕事をしていても、大して違いがないなんてこともザラです。
私はリタイアしようとしているくらいなので、既に仕事に意義があるだなんて20代の社畜のようなことを言うつもりはありません。
この記事を読んで気になったのは、社畜が仕事に意義を失うのが50代になってからという部分です。
この仕事の意義とは、「他者への貢献」「生活との調和」「仕事からの体験」「能力の発揮」「体を動かすこと」「高い収入や栄誉」という6つの要素を指すようです。
この6つが全部「価値がねぇ」と感じるのが50代だそうです。
ぶっちぎりで50歳~54歳はマイナスです。
20代の若手が50代を働かないおじさん扱いするのも当然です。
片や仕事に価値を感じていて、片や仕事に全く価値を感じていないんですからそりゃそうでしょと言った感じです。
というより30代から金と生活以外の要素が仕事の意義として価値が無くなっているのが面白いです。
やはり金のために社畜は働いているということなのでしょう。
50代から急にすべての要素がマイナスになるのは何ででしょうね。
役職定年等で給料が一段下がるからでしょうか?
それとも金じゃ誤魔化せないほどウンザリするからでしょうか。
給料にすら価値を感じないという形です。
とはいえ給料のピークである50歳~54歳がボトムになることから社畜の賞味期限は最大でも30年程度なんでしょうね。
企業が何を言ったところで、お金と生活時間以外の価値は10年も持ちません。
社畜がいかにお金以外に価値を感じないことに何十年もかけて生活しているのかが分かります。
実際に給料が減るまで社畜の価値の無さに気付かないのは不幸だと思います。
そういった意味でも、価値の無さを骨身に沁みて実感する前に辞めるFIREには意味があるのでしょう。
価値を感じないものから、自分が価値があると思ったことに時間をかけられるのですから、それだけでもFIREする価値は十二分にあるのでしょうね。
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