絶望とは無縁なセミリタイア

ハートフラッシュ セミリタイア
スポンサーリンク
スポンサーリンク

社畜生活は低いところでフラットで、ほんのり絶望的

貧困より恐ろしい死に至る病…40代50代のサラリーマンを襲う「絶望死」のハイリスクという記事を見ました。

貧困より恐ろしい死に至る病…40代50代のサラリーマンを襲う「絶望死」のハイリスク 「働かないおじさん」が許された時代はもう終わった
40代50代が迷っている。給与アップや出世の望みは絶たれ、「45歳定年制」「役職定年」「年収激減の定年延長」と暗い未来しか描けない。「働かないおじさん」以前に「居場所がない」のだ。約900人のインタビュー調査をした健康社会学者の河合薫さんは...

私も今年から40代の社畜になってしまいましたが、特に絶望はしていません。
社畜は決して幸せな職業では無いと思いますが、大多数の人は絶望しながら生活しているわけも無いと思います。
飛び上がる程ハッピーでも無いけど、膝をつくほどの絶望がある訳でも無い、「特に大きな変化の無い日常」の中で生活していることでしょう。
と言うより、社畜生活がドキドキハラハラな毎日だったら疲れてしまうので、当然刺激の無い日々になるはずです。

私も他の社畜と同じように、平日は仕事、休日はダラダラする生活を続けてきました。
社会人になってからは、大きな変化は少ないです。
学生時代はやったことの無いことが多く刺激も多かった記憶がありますが、社会人になると社会人1年目、2年目はまだしも、社会人になってから10年も経つと何の刺激も無くなってきます。

特段刺激を求めていた訳ではありませんが、年収増を狙って転職したりしたこともあります。
人間関係はリセットされますが、転職したところで通う勤務先や勤務内容が変わるだけで、生活そのものが大きく変わる訳ではありません。
そこには多くの不満と、多少の楽しみがあり、大きな喜びも深い絶望も無い「フラットな生活」が続きます。

SOCが高いと社畜適性も高い。

記事内では社畜の賃金が上昇していないことや、退職金や住宅手当といった福利厚生もどんどん削られているという話をして、悠々自適という言葉は死語になったと言い切っています。
そんな報われない時代でも、人間の中にはどんな時代やどんな環境であっても幸せに生きようとする力があるそうです。

結局人は自分が生きている環境と手札で生きるしか無い訳なので、手札をやりくりしつつ、一番良い塩梅を探して生活するでしょうから、特段違和感のある話ではありません。
適応できなければ人間はとっくに絶滅しているはずなので、適応能力は高いのでしょう。
とは言え、ナチスの強制収容所に収容された人にも環境適応する人が居るのにはビックリしました。

何でこんなブラックな会社で働いているんだと思いつつ、ブラック企業に適応して生活している人も居るので、意外に何とか適応できるのかもしれません。
何とかなるのかもしれませんが、強制収容所と違ってブラック企業は脱出可能なので、適応する前に脱出した方が良いと思いますが・・
こういった困難や危機に対応する能力が高い人を、SOC(Sense of Coherence=首尾一貫感覚)が高いと言うそうです。

ブラック企業で鬱病にならずに適応できるタイプの人はSOCが高いということなんでしょう。
逆に、「私にとって生きにくい世の中だ」と慢性的に感じていると死に向かうそうです。これを絶望死と呼ぶそうです。
学生や社畜生活で上手くいかなくて自殺するタイプはこっちのタイプなのでしょうね。
死ぬくらいなら全力でその場から逃げた方が良いと思いますが、何故かこの世から逃げをうとうとするのも不思議なものです。

セミリタイアする人はどっちだろう。

セミリタイアに向かうタイプはどっちなのかなと考えてみましたが、セミリタイアしたい人はSOCが高いとは言えません。
何しろ、社畜という環境に適応できていないのですから。
SOCが高ければ、定年まで社畜ができるでしょう。
かと言ってSOCが低くもありません。曲りなりとも社畜生活をうん十年続けてくることができたので、あまり深く考えなければ、定年まで自分を誤魔化しきれるかもしれません。

社畜生活も長くなってくると今後どうしようか考えることがあります。
風呂に入っている時とか、ソファーでごろ寝している時とか・・
そういう立ち止まって考えている時に、社畜生活がこれから後数十年続くなんて考えたら、死ぬまでは行かなくても絶望する人は多そうです。

絶望的な気分になると言うことは、適応できていないということなので決してSOCが高くは無いのでしょう。
だからセミリタイアを目指す人が居るのでしょう。
適応するわけでも無く、死を選ぶわけでも無い、第3の選択肢を目指すのがセミリタイアする人です。
SOCが高く無いとは言え、絶望死するほど人生を諦めてもいません。

人生が上手くいっていると感じているかどうかが絶望死の分水嶺になっているそうです。
セミリタイアを目指す人は、果たして人生が上手くいっているのかは疑問です。

単純に働くのが面倒くさいので、毎日遊んで暮らしたいだけかもしれませんが、社畜生活が凄く上手くいっているならわざわざリタイアしようと考えることも無いでしょうから、絶望しないためにセミリタイアを目指しているのかもしれません。
どちらかと言えば、絶望死寄りなのかもしれません。

つまり、セミリタイアは絶望死を防ぐための人体の防衛機能が働いているのではないでしょうか。
そんなに高尚なものでも無く、単純に怠惰を求めているだけかもしれませんが、そんな話もありますよ。と自己弁護をしたところで今日は終わろうと思います。

当ブログは、にほんブログ村に参加しています。面白かったと思ったらクリックをお願いします。
にほんブログ村 投資ブログ 資産運用へ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
当ブログは、にほんブログ村に参加しています。面白かったと思ったらクリックをお願いします。
にほんブログ村 投資ブログ 資産運用へ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
セミリタイア
スポンサーリンク
シェアする
nekonabeをフォローする

コメント

  1. deds より:

    会社員時代の方が圧倒的にジェットコースターだったけどなあ
    やめてようやく心穏やかになれたよ

    • nekonabe より:

      dedsさん、コメントありがとうございます。
      社畜時代も別に暇ってわけでは無いんですが、刺激は無いですね。今までの経験で十分対応可能な物ばかりです。
      辞めたらさらに平穏になりますね。平穏過ぎて悟りが開けるかもしれません

タイトルとURLをコピーしました