日常生活にたくさん潜んでいる泥棒たち
「人生を後悔している人」に共通する時間の使い方、ワースト1という記事を見ました。

記事の中身は自分にとって真に重要なことを意識し、時間資本を適切に配分することの重要性を説いており、それを妨げるものを「時間泥棒」と呼んでいます。
日常生活でも、社畜でも様々な時間泥棒が存在しますが、今日はそんな時間泥棒についてお話しようと思います。
会社の中にいる時間泥棒たち
私はFIREを目指していて、もうすぐFIRE達成するという状況ですが、このFIREを目指すこと自体が、「自分にとって本当に大事なもの」「自分が本当に実現したいこと」を意識して時間資本の配分をマネージすることに当たると、自分では考えています。
そうなると、社畜生活で平日に毎日8時間、9時間と拘束されていること自体が私にとっての「時間泥棒」であるとも言えます。
社畜の給料が投資の原資にもなるので、社畜生活自体が完全に無駄な時間泥棒という訳ではありませんが、会社の中には本当にただ時間だけを奪っていく時間泥棒も存在します。
例えば、調べればすぐ分かることを聞いて来たり、何度も同じことを聞くような人、つまらない雑談を延々と垂れ流す人が居ないでしょうか?
こういった人が、社畜における「時間泥棒」です。
あなたの周りにもこんな人が居るでしょう。
彼らは相手をしているとそれだけで時間を消耗してしまう有害な存在です。
1度相手をすると、その後何度も相手をすることになるので、できるだけお近づきにならない方が得策でしょう。
もう暇でしょうがないなら暇つぶしに相手をしても良いと思いますが、相手をすることによって仕事が時間内に終わらなかったりすると悲惨です。
FIREを目指し始めたくらいの段階なら、残業代も重要な投資リソースの一部になると思いますが、もうすぐFIRE達成という段階になると残業代は重要な投資リソースにはなりません。
月に数万円増える程度なら、1秒でも早く帰って自分の時間を過ごすことの方が重要になります。
時間泥棒に関わっている時間はありません。
時間泥棒たちのお相手は、まだまだ社畜を続ける必要がある人にお任せした方が良いでしょう。
FIREという目標を達成してもハッピーにならない?
私は残り165日でFIREする予定なので、会社の目標やノルマといったものも私にとっては時間泥棒でしかありません。
もう賞与の評価を気にする必要がないからです。
恐らく辞意を表明した時点で、賞与の評価は自動的に下がるでしょう。
今の私にとっては、仕事の準備をする、仕事に行く、仕事をする。
この一連の行動すべてが時間泥棒とも言えます。
会社という時間泥棒を避けてFIREする。
ここまでは特に問題はない予定どおりの行動ですが、ただこの記事で以下の1文が気になりました。
「設定した目標がことごとく実現するのに全然ハッピーにならない」
これはFIREにも当てはまる可能性はあります。
私が仕事をしたくないのは間違いないです。
仕事をしたくないからFIREするという目標を作って邁進してきた訳ですが、FIREという目標を達成した後に特別何かがしたい訳でもないのです。
幾つかFIRE後にやりたいことリストを作成していますが、FIRE後に常にやることでもありません。
FIREして仕事を辞めたことを後悔することは無いと思いますが、FIREが本当にやりたいことか?と問われると疑問符が付きます。
FIREがしたい訳ではないけど、仕事をしないためにはFIREが必要だったというだけです。
これが自分にとって本当に大事なものか?実現したいことか?と問われるとそうでもありません。
ただ働きたくないのは間違いないので、仕事は辞めると思います。
仕事を辞めてFIREした後にハッピーにならないという可能性は十分ありそうです。
FIREして暫くは「仕事をしなくて良い」と言うだけでハッピーな気持ちになれるでしょうが、時間が経って仕事をしていないことに慣れてきてからも、FIRE最高だと言っているかは分かりません。
少なくとも社畜が懐かしいから再就職しようとは思わないはずですが、FIREした後に真の時間泥棒は「私自身」だったとは言いたくないものです。
コメント
nekonabeさん おはようございます。はしQです。確かに、FIREするときにはそのあと「どうするのか」「何がしたいか」をクリアにしておく必要があると、FIRE周りの記事には必ずあります。若いうちにFIREしてしまうと、こんなこと考える前に収支が合わなくなるので、「何をしようか」ではなく、「どうやって稼ごう」になりますので心配ないのですが、おじFIREは、少なくともFIはできているので、原則的には収支はあっているはずなので、こういった「何をやるか」が重要な気はします。よく考えてみれば、定年退職後も残された時間が短いだけで同じことが言えます。さあ当方はどうしますかね・・・ではまた
はしQさん、コメントありがとうございます。
何をするのかと言われると、オッサンは結構困ると思いますよ。
なんせ何十年も週5はひたすら社畜でしたから、何かするという想像力が欠如していると思います。
多分しばらくは昼寝とゲームと動画視聴と読書だけで時間が過ぎ去りそうな気がします。
引用の文章を読まさせていただきました。
「当時の私が手に入れようとしていたものは、自分自身が心から望んでいたものではなく、周囲の他人を羨ましがらせるものであった」
というところが一番ひっかかりました。他人の目を気にして生きてきた、というところが失敗ですね。
人からの評価を気にして生きてきたんだな、この著者は。
仕事をしたくないからFIREした、そう言う気持ちも半分ぐらいありました。仕事をしたくないというよりも、時間を拘束される部分が嫌だったかな。
いろんな職種を経験させてもらいました。嫌なことばかりじゃなくて楽しいこともたくさんありました。
FIREしてからも毎日、いろんなことに楽しみを見つけてます。
(他人から見たら全然楽しくないように見えるそうですが、本人が楽しければいいんです)
実際、退職してからは、思いもよらないことにも興味が増えて、忙しく過ごしてます。
仙堂智隆さん、コメントありがとうございます。
私の中では仕事に行く準備をして、満員電車に乗って、9時間拘束されて、帰宅ラッシュに揉まれて帰るという一連の流れが嫌ですね。
この一連の流れを仕事と認識しています。
拘束されている間の仕事内容は超大好きって訳ではありませんが、死ぬほど嫌いって訳でもありません。
ただ、何しても良いよと言われたら絶対にやらないってことは確かです。
FIRE後に実はこれが好きだったという物を見つけるのも楽しそうですね。
多分、幼少期に好きだったものが今も好きなんだと思っていますが、全然やったことなかったけど滅茶好きってこともあるかもしれませんね。
<追記>
気になったらごめんなさい。先に謝ります。
FIREを目的にするのではなく、あくまでも目的を達成するための手段としてのFIRE、すなわち、FIREはゴールではなく通過点と考えた方がいいです。
仙堂智隆さん、コメントありがとうございます。
頭の中では通過点だという考えはあります。
以前、死ぬまで働かないを達成したらFIREだという話を書いた記憶があります。
https://nekonabe-blog.com/240409-2/8483/
多分FIRE後も考え方は変わっていくんでしょうが、とりあえず今は働きたくないですw