静かな退職は、合法的な経営者への反抗
コロナ禍以降、労働者階級による資本階級への反乱が続いています。
この反乱の面白いところは、会社の備品をぶっ壊したり、役員に暴行したりといった直接的なモノではなく、一見キチンと仕事をしているようにしつつ、手を抜くといった方法で行われています。
必要最低限の仕事しかしない静かな退職(Quiet quitting)がこの反乱に当たります。
資本家からすれば、安月給で扱き使っていたのに、コロナ禍以降は労働者が働かなくなってしまったので、頭が痛い問題でしょう。
労働者からすれば、コロナ禍で1人で考える時間が出来たので、「労働ってクソじゃねぇ?」という気付きを得られただけだと思います。
特に、インドア派で独身、1人暮らしなら1人で考える時間は多いので、コロナ禍に限らずどんな時代でも一定数の静かな退職をしている人は居るでしょう。
アウトドア派も家族持ちも1人で考える時間ができてこの真理に気付いてしまったため、絶対数が増えて表面化してきただけというのが、私の感想です。
日本にはずっと居る、静かな退職を行っている人々
海外では飴(給料)を大きくして、どうにか労働者を働かせようとしていますが、わが国では静かな退職がブームになっているという報道がされていないような気がします。
実際は働かないオジサン/オバサンが一定数以上いるので、彼らがまさに静かな退職を実践している人々だと思いますが、給与は上がらないけど、クビにはならないといった環境では、合理的な判断と行動をしていると思います。
何かと否定的に語られる働かないオジサン/オバサンですが、合理的な判断を行った結果そうなったので、会社が仕組を変えてもそうそう変わらないでしょう。
罰則や給料に対するペナルティという形で、鞭を入れるという方法もありますが、どれほど効果があるか疑問です。月の給料と支出がほぼイコールで、資産が殆ど無ければ多少頑張るかもしれませんが、ペナルティの条件に触れないように全力で手を抜く人が多いでしょうね。
日本で年を取ると働く気が失せてくる訳
なぜ、年を取ると静かな退職をする人が増えるのか、その理由は時間の価値は年を取るごとに高くなっていくためだと私は思います。
若い時は無限に時間があるかのように錯覚しています。
大病でもしていない限り、今日と同じ明日がいつまでも続いていくと感じることでしょう。
そのため、仕事に対して時間を使うことにあまり躊躇しないです。
何しろ時間は無限にあります。無限の中からちょっと仕事に使っても大して惜しくはないでしょう。
ですが、40代、50代と年を取ると所謂、自分の終わりが見えてくるので時間は貴重なものになります。
病気になったりすれば、強く自分の終わりを感じるでしょう。
病気にならなくても、駅の階段を上って息切れしたり、自分はもう若くないなと感じたりする時、自分の終わりを無意識に感じています。
そうなると、残された時間はとても貴重なものだと感じます。
何だかんだと言っても、労働は時間を対価にして給料を貰っています。
成果主義と言いつつも、仕事が終わったからといって帰れるわけではありません。
労働時間は決まっていて、その時間はずっと拘束されています。
そのため、あくまで時間を対価にして給料を貰っていると考えて良いでしょう。
給料が20年以上変わらないにも関わらず、自分の時間の価値は上がっているということは、若い時は給料=時間だった関係も、年を取ると給料<時間の関係になるということです。
そりゃできるだけ時間のかかる仕事をしたくないし、殆ど何もしないでサッサと家に帰りたくもなります。
いくら仕事をしようが、見返りはわずかな昇給とボーナスだけなのです。
時間とお金を比較して、時間の方がより価値があると思えば、できるだけ時間をかけずに働こうと考えるでしょう。
仕事で頑張る=その分時間がかかるという流れが続く限り、働かないオジサンは増えていくでしょうね。
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