上級職の違和感にはどこかズレてる。
日本のFIREブームへの違和感、本当に早く退職することが正しいのか?という記事を見ました。
こういった記事を見ると、またどこぞの社長が奴隷を扱き使うために労働を賛美している記事かなと思って読み始めましたが、著者の榊原正幸氏は大学教授でどこぞの企業経営者では無かったので今回は学者から見たFIREについての記事について語っていこうと思います。
著者の主張を確認する。
記事を読んでみると、著者はいわゆるCoast FIREを勧めている内容でした。
主な主張は以下の4点です。
- できるだけ早く、遅くとも40歳~45歳までには「嫌じゃない仕事」に就きなさい。
- 25歳くらいから60歳くらいまでの長い時間をかけて、資産運用をすることによって、盤石の経済的基盤を構築しよう。
- 60歳から遅くとも65歳までに「経済的自由」の基盤を確立しよう。
- 60歳を過ぎたら、「お金、生活のために、仕方なく働く」ということを回避しよう。
内容を見る限り、自分が嫌では無い仕事をしつつ、資産運用を行って60歳までに経済的自立を達成して、経済的自立を達成した後も嫌じゃない仕事なら60歳まで、好きな仕事なら何だかんだと働き続けましょうという主張です。
話としては別におかしなことを言っているわけではありません。
FI(Financial Independence)は達成しつつ、RE(Retire Early)はしないというCoast Fireを推奨しているということでしょう。
言っていることは分かりますが、全く共感はしないですね。
特に「働き続けよう」という主張が。
Coast Fireは達成していても、達成前と何も変わらない。
Coast FireはFireに分類されていますが、私の感覚ではFireとしては認めていません。
Fireは飽く迄、FI(Financial Independence)とRE(Retire Early)を同時に満たしていて初めてFireを名乗れるものだと思っています。
どれだけFIしていてもREしていなければ、Fireとは言いません。
私自身は一応FIは達成していて、REをしないで働き続けているのでCoast Fireは達成している状態です。
ですが、こんな状態がFireと言うなら、「Fireなんてクソだ。」と言わざるを得ません。
FireはREが無いとFireとは言いません。
ニートでも無職でも良いのですが、誰にも生活を脅かされないためにFIが必要ということです。
重要度としては、FI<<REでしょうか。
働かないためにFIがあるので、FIだけ達成してREをしないなんて言う状態はFireではありません。
アンマンなのにアンコが入っていないようなものです。
良く「辞めようと思えば、いつでも辞められる。」から精神的に楽という話が語られますが、実際Coast Fireを達成している私からすると、精神的に楽か?という疑問があります。
なぜなら、「いつでも辞められる。」という精神的な楽さを「辞められるのに未だに働いている。」という苦痛が帳消しにしているため、特に楽な感じはしません。
私はCoast Fire達成前より仕事が嫌いになりました。
辞めても良いけど未だに働いているというのは意外と苦痛です。
そんなに辞めたいなら辞めれば良いんですが、変に見切り発車してリタイア生活を始めた後に、資金ショートしていまい、また働く羽目になる可能性を考えると、苦痛はあれどもう何年か働いて資金ショートの可能性を最小限にしてしまった方が良いと考えて、未だに働いています。
それに精神的に楽と言いますが、毎月給料日前になると口座に3桁円しか残っていないといった自転車操業をしていない限り、働いている状態で、お金の問題でそれ程精神的なプレッシャーは受けていないと思います。
受けているとすれば、それは消費が多すぎですので、支出を減らすべきだと思います。
6カ月分くらいの生活費が貯金できていれば、FIを達成しているのと精神的余裕的にはあまり変わらないのではないでしょうか。
つまり、経済的に自立していると言えるほどの資産ができても、劇的に精神的に楽な感じは無いといういうことです。
嫌じゃない仕事って何だろうね。
「嫌じゃない仕事」と言うのも結構ハードルが高いですね。
私も20年近く社畜として働いているので、そこまで嫌いじゃない仕事をしているんだと思いますが、仕事は常に辞めたいと思っています。
何しろ仕事という仕組みが問題ですからね。
仕事は好き嫌いの世界ではなく、押し付けられたルール(就業規則)を守って働く必要がある作業です。
しかも自分で決めたルールでは無く、法律に沿ってどこぞの経営者が考えたルールです。
他人が決めたことに従っている時点で、常に不快な気分が付きまといます。
毎日朝早く起きて、同じところに出勤するというルーティンがそもそも嫌な私のような人間からすると、一般的なフルタイムの社畜仕事は全て「嫌な仕事」になってしまいます。
好きな時に起きて、好きな時間に、自分で好き勝手に内容を決められれば良いのですが、そんな形でお金を貰えるほど社会は甘くないです。
私にとって嫌じゃない仕事は雇われ仕事では、ほぼ無いということになります。
著者は大学教授ですので、やりたい研究をしているので楽しいのかもしれません。
研究がしたくて、授業は適当という大学教授も結構いますが、授業が適当でも、適当ゆえに単位が取りやすくて学生には大人気という場合もありますので、大学教授は嫌なことはやらないが成立するのかもしれません。
社畜は「嫌だからこの仕事はやらない。」とは言えないので、社畜で嫌な仕事をしないということはほぼ不可能でしょう。
60歳で区切る理由が分からない。
最も共感できないのは、嫌いじゃない仕事でも60歳まで働くという考え方です。
資産が必要な分だけ積み上がったら、30歳でも40歳でもさっさと辞めれば良いと思いますが、それでも60歳までは盤石の経済的基盤を作るというのは意味が分かりません。
墓場までお金は持っていけないので、必要以上に貯める必要性はありません。
特に私のように独身だと、残す人間も居ないので余計に必要以上に蓄財する必要がありません。
確かに資産が多ければ、大きな病気になった時等何かと安心でしょう。
ですが、逆にあまりに貯め込み過ぎると、今度は減らしたくないという気持ちが強くなり過ぎて過剰な節制をしたりすることにもなりかねません。
「こんなに長生きしないかな?」くらいまで生きる想定で、必要な資産額を計算してそこまで貯めたらさっさと社畜は辞める。それで良いと思います。
願望が混ざった想定よりきっと長生きしないので、想定した寿命分貯めた金額がバッファになりますし、それでも資金ショートするようなら生活保護を取ればよいのです。
資金ショートする頃にはとっくに後期高齢者になっているでしょう。
流石にその年齢で働けとは言われないはずです。
仕事が好きとか嫌いかなんてどうでも良くて、仕事が好きだろうと自分の時間を大切にするべきでしょう。
人生は1度しかないです。
資産額を持ち越して2回目の人生が始まるなら、1回目の人生は死ぬまで蓄財するのもありですけど、そんな訳ありませんからね。
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