FIREは手段か?目的か?
FIREは手段であり目的ではないという話はよく言われています。
確かにFIRE後も人生は続くわけですから、経済的な自立をして会社を退職した後も何十年も人生は続きます。
「FIREは手段であり目的ではない。」この言葉は、言葉で言うのは容易い。
したり顔でこの言葉を語る人は、FIREを目指していないか、余程優秀な場合かのどちらかでしょう。
普通の人は手段か、目的かなんてどーでも良いことを考えてはいられません。
早期退職までに1円でも多くかき集めて、そしてFIREする。
そしてFIRE後は働かないためにも、資産はコントロールし続けなければなりません。
FIREは手段だの何だのというヌルい話は、FIREしてから考えても十分間に合います。
FIREして手戻りできない部分は、会社を辞めることくらいです。
退職を会社に伝えたら後には引けませんが、それ以外の部分は逆にどうとでもなります。
そしてFIREしようなんて人間は基本的に働きたくありません。
会社を辞めた後に後悔することは、金銭的な問題以外はないでしょう。
定年後もFIRE後も共通するのは、自由時間の多さ
私はFIREする前もした後も、結局お金が目的になるのではないかと考えていますが、FIRE後はこれまでの社畜暮らしと大きく異なる点が1つあります。
それが時間的な自由度が圧倒的に増えることです。
この部分に関しては定年退職した社畜と同じです。
そして定年退職後に時間的な余裕ができると狂う人も一定数存在します。
定年後に投資を始めて失敗する人は良く聞きますが、その手の話はFIREする場合はほぼ関係がありません。
FIRE後に急に新しい投資を始めたりするケースは稀でしょう。
FIRE前から行っていた投資手法を、その時々に合わせて修正して続けていくことになるはずです。
問題は時間の使い方です。
これについては定年退職しようが、FIREしようが平日の半分程度が自由時間になるのは全く同じです。
定年後の感覚とFIRE後の感覚が遠すぎる
老後をめぐる悲喜劇の数々に共通する特徴の1つは、「目的と手段の不整合」「目的と手段の転倒」だそうです。
何かFIREの目的と手段の話に近しいものがありますね。
記事を見る限りでは、社畜時代の感覚をそのまま定年後の生活に持ち込むことで、小競り合いに発展するケースが多いようです。
会社時代の管理職のように、周りの人間が配慮するべしという考え方を押し付けるのが問題になるようですが、この感覚はFIREする人間にはあまり無い感覚ではないかと思います。
それは、定年退職した場合と、FIREした場合の大きな違いの1つでもあります。
つまり自分で辞めようと思って会社から去ったか、仕組み的に会社から追い出されたかという違いです。
仕組み的に追い出された場合、会社時代が恋しい人も多いでしょう。
しかしFIREする場合は全く逆です。
そもそも働きたくないからFIREするのであって、そんなに働きたいならFIREなんてしないで会社に残り続けるはずです。
となれば、FIREした人は自分から会社を離れることになるので社畜時代の処遇についての感覚がFIRE後も残り続けるなんてことは少ないと思います。
この辺りの感覚はFIREした後でなければ実感できないでしょうが、FIRE後に配慮を求めて文句を言いまくるなんてことにはならないでしょうね。
特徴の2つ目の居場所を浪費と闘争によって奪い取るものと勘違いすることだそうです。
こちらの方がまだFIREした後にもハマりそうな話ではあります。
コミュニティに所属するために一定額の浪費をすることはFIRE後でもあり得ます。
そのコミュニティ内での地位を築くために、必要以上に道具を揃えたり浪費をする可能性はあります。
ただ、これもFIREした場合はあまりない感覚でしょうね。
だってそういう競争が面倒くさくなったというのもFIREする理由の1つなんですから、あまりコミュニティでの地位に興味を持つとは思えません。
見ている限り、定年退職後の目的と手段の不整合は、FIREした場合にはあまり関係が無さそうです。
時間があると何かと比較したり、競争したくなるのは社畜時代の調教の影響だと思いますが、辞めた後まで影響を残し続けるなんてやっぱり社畜は碌なもんじゃないです。
この感覚を植え付けられる前にFIREした方が、退職後の暮らしも平穏なものになるでしょうね。
コメント
おはようございます。nekonabeさん。はしQです。今回もFIREをしたことの無いバーチャルFIREか、かなり特殊な環境でFIREした人の論でしょう。FIREは働きたくないから早期にチャレンジする、「目的」そのものと思います。その後何もすることがないとつまらないので、別の目的を持ちましょうは、同意できますが。FIRE後も資産を積み上げ続けるのが目的でもよいのではと、考えます。死んだらもったいない論は、FIRE後の生活資金に心配ないで十分役割を果たしますし、それほど黙っていても資産が保持できるとも思えません。FIRE後に、何か面白いことにお金を使うぐらいで十分立派な目的かと思います。こんな悟りを開いたはしQでした。ではまた
はしQさん、コメントありがとうございます。
FIREした後は社畜の給料がゼロになった上に生活費も取り崩す必要があるので、必要以上に積み上げることを目標にしてしまうと、それはそれで病みそうです。
あんまり気にしないように現状維持できるのがベストなんですが、そうそう上手くはいかないでしょう。
どうしても気になっちゃいますし、相場も下がる時は下がりますからね。
今くらいの相場がずっと続けば、取り崩しつつ投資にも回せて最高なんですけどね。
nekonabeさん おはようございます。連投のはしQです。
確かにFIRE後の積み上げはハードすぎですね。撤回、「FIRE後は資産運用を続け、生活水準は保ちつつ資産運用は続ける。」にします。これはこれで計画性や世の中の流れを見たり、株や投資信託の流れを俯瞰したり結構やること小が多そうで趣味と実益といえるかも。優待株をその後の人生にフォーカスしてスイッチしてゆくなどもありますね。ではまた
はしQさん、コメントありがとうございます。
趣味と考えることができるくらいの難度であって欲しいと最近よく考えます。
私の生活費程度なら、4%で回せれば何の問題もないはずですし、株価が下がれば3%切り崩しでも何の問題もないと思いますが、最高値を付けてから最近横ばい傾向ですからね。
だんだんFIREまでの期間が短くなってきているので、少し考えることが多くなってきたかもしれません。