〇〇世代という生まれた年で分割する仕組み
日本では〇〇世代というのが存在します。
私は氷河期世代ですが、団塊世代とかゆとり世代とか生まれた年で〇〇世代という名称を付けてカテゴライズされています。
海外でもX世代とかY世代とかZ世代とか言うので、世界的に世代論というのはあるのだと思いますが、生まれた年というのは一種の仲間意識のようなものを生みます。
若い時に流行った音楽だったり、ファッションだったり、ゲームやアニメのようなサブカルだったりと、同じ世代に生まれ育つということはこういった流行と共に生きてきたということです。
流行っていた=多くの人が触れてきたということでもあるので、同じものを共有してきたからこそ似たような価値観が生まれるということなんでしょうね。
こういった世代論は世代間の争いも生み出しますが、同じ世代だとふんわりした緩い仲間意識も生み出します。
今日は同じ世代の価値観のお話です。
全く同じ考え方にはならないけど、似た考え方にはなる?
同じ年に生まれたからと言って、同じ価値観を持った人間に成長するかと言われれば、当然そんなことはありません。
人によって好きなことと、嫌いなことは違いますし、得意なことと、不得意なことも違います。
好き嫌いや、得意不得意で自ずと自分の進む方向性も変わりますし、長い間生きていると全く違った価値観を生むでしょう。
それでも似たような考え方にはなるもんだなと思ったのは、以下の記事を見たからです。

「退職後の生活をダラけずに過ごすコツは?→44歳でFIREした男の「人生の本質」を突く回答が胸に刺さる」という記事です。
微妙に違う価値観の変化
この記事は私とほぼ同じ44歳でFIREしたオッサンが、Q&A形式で質問に答えていくものですが、回答内容が私の感覚に近いと思いました。
この人は1976年生まれなので、私より6コ上ですが同じ氷河期世代ですね。
FIRE後に時間に関して価値観の変化があったと言う風に回答していましたが、私はFIREする過程で変化してきました。
これは、FIREを計画して進めていく過程で仕事がさほど重要なものでなくなることで変化していく価値観だと思います。

重要でないものに、時間をかける必要があるのか?
この辺りは特に残業する場合にシビアに感じるものだと思います。
残業代や、残業することで得られる評価と、残業せずにその時間で得られるものの価値が釣り合うのかという問題です。
FIREを計画していて、今1円でも多く種銭を稼ぎたい。残業した方が種銭が稼げる。というのであれば残業するべきだと思いますし、ある程度資産ができて今更、残業した程度で貰える金額なんて資産額全体に大した影響を及ぼさないと思うなら残業はしなくなるでしょう。
FIREが近づくにつれて時間の価値が高まっていくとも言えます。
この人はFIREした後に気付いたようですが、私はブログで四六時中FIREのことを考えていたから、FIRE前に気付いてしまったようです。
FIREすると似たような価値観を持つのか
多分、これが一番価値観が近いと思ったのが、退職後の生活をダラけずに過ごすコツは何ですか?という質問に対する回答ですね。
何もしないムダな日があっても良い。という考え方です。

私もFIRE後は思いっきりダラダラ生きるつもりです。
何かしなきゃいけないという考え方は社畜の考え方です。
それをFIRE後の暮らしにまで持ち込む必要はありません。
別に昼まで寝ていても「時間を無駄にした。」なんて思う必要はありません。

そして、この無駄を許容する姿勢は、退職後に感じる幸せにも現れています。
やりたいことをやる、やりたくないことはやらない。ということですね。
この辺りの感覚はFIREしようと考える人は共通して持つのかもしれませんが、年の近い人が同じことを考えていると、「やっぱりそうだよね。」と、同じ世代のシンパシーのようなものを感じてしまいます。
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