多分誰でも何かで負けている勝ち組、負け組論
今は当たり前のように使われている言葉に「勝ち組、負け組」という言葉があります。
氷河期世代には因縁深い言葉ですが、ちょうど氷河期世代が社畜になった頃辺りから流行った言葉だと思います。
この勝ち組、負け組という言葉、お近づきになると幸福にはならない物だとは思います。
何しろタワマンの低階層と高階層にすら使われるくらいですからね。
住所が同じでも住んでいる階数が違うだけでも、勝ち負けをつけられてしまいます。
氷河期世代だと正社員=勝ち組、非正規社員=負け組といった話がスタンダードでしたが、今は地獄の裾野も広がり学歴、恋愛、年収、職業、住所とありとあらゆるもので勝ち負けを決めようとしてきます。
正直、勝とうが、負けようが生活には何の関係もないので気にしないのが正解です。
それにあらゆることで、勝ち組に入ることも難しいでしょう。

ふと、FIREは勝ち組か負け組かという話は見たことがないなぁと思ったので、今日はFIREは勝ち組か、負け組かについて考えてみようと思います。
FIREは勝ち組か、負け組か?
FIREは勝ち組か、負け組か。
これは結構難しい問題だと思います。
勝っている要素もあり、負けている要素もあります。
FIREを贔屓目なしに見た場合、お金を貯めこんで社会から離脱した世捨て人のようなものです。
世捨て人なのに勝ち組か?と聞かれると「うーん、何か違うんじゃない。」と思ってしまいます。
経済的な面で見れば明らかに勝ち組に分類されると思いますが、社会的に見ればFIREは負け組に分類されるはずです。
なぜなら、FIREは基本「仕事が嫌になった人がリタイアする」ものだからです。
そして、仕事が嫌になるのは大概下っ端です。
社会的な地位が高ければ勝ち組と一概に言えるものではないと思いますが、起業して上場させて会社を売却してからFIREしたという特殊ケースを除けば、FIREする社畜は中間管理職や平社員がFIREするはずです。
苦労して会社の頂点まで行った社畜が、頂点に辿り着いた後にわざわざFIREしようとするか?と考えると・・・
ちょっと嫌になったくらいではFIREしないのではないかと思います。
従業員も気を使ってくれるでしょうし、基本社内に居るでしょうから、ストレスは少ないはずです。
金銭的な安定や高い社会的地位を捨ててでも、あえて自由を取るという選択をする人は少ないんじゃないかと思います。
FIRE民は勝ち負けの世界で戦っていないということか
個人的見解では、FIRE=金銭的には勝ち組、社会的には負け組という考えになりましたが、個人単位で考えた場合はまた別です。
社会的に見てと言われれば、確かにFIREは負け組でしょう。
他人から羨ましいと思われはするでしょうが、「社会人に耐えられなくなってドロップアウトしたとか、国民の義務が云々・・・」といった攻撃を受ける余地があります。
ただ、社会は置いておいて個人単位で見た場合は勝ち組です。
何しろ、ストレスがありません。
睡眠欲、食欲、性欲といった3大欲求が、仕事の都合で妨害されることもありませんし、上司や同僚、取引先というストレスの元凶との付き合いもありません。
通勤もなく、1日8時間拘束されるといった時間的拘束もありません。
世捨て人だからこそ、個人としては圧倒的に自由でストレスフリーなのがFIREです。
社会と密接に繋がってないと死んじゃうという人がFIREしたとしても、金銭的に満たされていても、社会的に承認されていないと不満を感じるでしょうし、オッサンのように世捨て人でも全然OKと考える人は、金銭的も個人の満足度的にも勝ち組と考えるでしょう。
結局、FIREして何に重きを置くかを決めるのは自分自身です。
社会的な成功が無いと駄目とか、他人の評価がないと耐えられないというタイプは負け組と考えると思いますし、他人にも他人の評価にも頓着しないタイプは勝ち組と考えるはずです。
世捨て人なんだから、後者の考え方で勝ち組ってことにしておいた方が精神衛生上良いんじゃないかと思いますが、1番良いのは勝ちとか負けとか言わないことでしょうね。
だから、FIREは勝ち組か負け組かなんてことを言うFIRE民は居ないのでしょう。


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