FIREとは何か?FIRE界隈にいても一言で説明できない。
FIREとは何か?
シンプルな問いですが、一言で回答するのは中々難しい質問です。
FIRE界隈に居る人たちには細々した説明は不要だと思いますが、その実内心考えていることが人によって違う複雑なテーマです。
何しろFIRE自体の定義がかなり曖昧であり、一言でFIREとはこういった状態ですと説明できないことも問題です。
FIREを知らない人にFIREを説明しようとすると、FIREとはFinancial Independence Retire Earlyの略語で、経済的自立と早期退職、つまり働かずに生活できる状態のことです。という話から始めると思います。
で、この話をすると、おそらくまず聞かれるのが「経済的自立って何?」という問いです。
どうなったら、経済的自立なの?って聞かれるでしょう。
これも一言で回答できない質問です。
FIERの定義も曖昧ですが、経済的自立も人によって異なる曖昧な話です。
まず、人によって経済的自立の定義が異なります。
一般的には自分の生活費の25年分を貯めて、4%で運用することで資産を減らさずに生活できるというトリニティ大学の研究の話をすることでしょう。
自分の生活費の25年分を貯める。
この状態が経済的な自立ができている状態ですと説明することになります。
この話をした時点で既に人によって経済的自立の印象が変わってしまいます。
年間100万円で生活できる人なら2,500万円ですし、500万円なら1億2,500万円です。
自分の生活費という「ものさし」の長さで簡単に1億円以上の差が出てしまいます。
差が出ること自体には別に何の問題もないんですが、年間100万円で生活できる人が3,000万円でFIREできるという話をしていたとして、生活費が年500万円の人がその話を聞いた時に「3,000万円でFIREできるわけねーじゃん。」という反論が出てくることになります。
人によって「経済的自立のものさし」が違うということが、FIREの共通的な理解を妨げてしまいます。
また人によっては、資産運用で投資をしていることが前提になること自体を疑問視するでしょう。
運用していないと経済的自立にならないのであれば、運用対象に依存しているので自立していないではないかと疑問を呈されることもあります。
こうなるとFIREって何だろうねってことになってしまいます。
ものさしの長さ云々以前の話です。
そうなってしまうと、貯金を切り崩して一生生活できる金額を持って仕事を辞めることがFIREだということになってしまいますが、そうなったらそうなったで、今度はその生活費の元になるお金は国が価値を保証しているものだから、国に依存していて自立していない。
なーんて屁理屈が出てきて結論は出なさそうです。
そうなったら、人間社会が崩壊しても自給自足で生活できる人みたいな話になってしまうので、もはやお金は関係なくなります。
ディスカバリーチャンネルで扱う話でFIREじゃありません。
そういった意味ではFIREとは、資本主義社会が成立している近代国家の中でのみ実現可能な経済活動であるとは言えそうです。
まだまだある。人によって変わるFIREの定義
ここまで屁理屈を言う人も珍しいでしょうが、経済的自立のものさし以外にもFIREの認識をおかしくする要素はあります。
それは、FIRE後にどういった生活をするのか。
このイメージが人によって全然違うことです。
FIRE後も今の生活と何ら変わりない生活を続けると考える人もいるでしょうし、FIRE後は毎日外食三昧で、買い物して海外旅行に行きまくる生活をすると考える人もいるでしょう。
これとは逆に田舎で自給自足生活をすると考える人や、食費や生活費を切り詰めてFIREすることを想定している人も居るはずです。
そうなると人によってFIRE自体のイメージが違ってしまいます。
今と変わらない生活を続ける想定でFIREを語る人とFIRE後は贅沢三昧を想定している人が会話をしたところで、お互いに腹落ちしません。
贅沢三昧を想定している人からすれば「そんな生活するならFIREしなくても良い」と考えるでしょうし、今の生活の延長上にFIREする人からすれば、「何アホみたいなこと言ってんのコイツ」と思うでしょう。
FIREした後の生活レベルについては、FIREを実際目指してみないとハッキリしてこないと思いますが、FIREを目指していれば贅沢三昧を考える人はまず絶無に近く居なくなると思います。
なぜならそんな生活をしたい人は、そもそもFIREできないからです。
年間2,000万円使いたい人なら、5億円は必要です。
生涯年収が大卒でも3億円に満たない社畜では一生働いていても辿り着けない領域です。
よしんば、それでもFIREしたいとなった場合でも、贅沢三昧しようって思い続けられる人は居なくなります。
金額以前に生活習慣と人間の思考的に無理です。
FIRE前に爪に火を点すような節約生活をして、FIRE後は贅沢三昧の生活をするなんて二重人格のようなことをするのは不可能と言って良いでしょう。
必ず節約生活の間にできた生活習慣が、FIRE後にもそのまま残ります。
そして、そこまでして貯めたお金をFIRE後に散財しようとは普通なりません。
辿り着くまでの過程が困難であれば困難であるほど、取り崩しには慎重になるはずです。
そういった意味ではFIRE後の生活は質素であり、平均的社畜の生活レベルから大きく逸脱したものではないことを定義付けなければならないでしょうね。
必要以上に節約することは、生活の維持自体が困難になる可能性が高いので除外しても良いでしょう。
あくまで平均レベルがベースで、上にも下にも大きく乖離しない生活レベルだと思います。
とりあえずFIについて考えてきましたが、今日は少し長くなってきてしまったので、明日にでもFIREのRetire Earlyの部分と結論を語っていこうと思います。
コメント
nekonabeさん。おはようございます、はしQです。こりゃまた直球のお題に挑まれるのですね。FIについては当方なりの結論は、年金や配当金等の定収以外に稼ぎがなくても、死ぬまで何とか人並みの生活ができること。です。ですのでお説のようにどれぐらいのレベルが人並みの生活かと、死ぬまでとは何年先までかという部分が決められないので、人それぞれの判断によるとなります。ただしFIですので生活保護で最低限の生活水準で何とか食つなぐのはFIではないとしとかないと、何でもありでになってしまうのでこれは「なし」です。また前提条件としては、革命がおこったり、画期的なビジネスモデルが出現し、金融資産の意味がなくならない前提でということになるかと思います。この意味では金融資産課税はある意味大きな変動リスクです。RE編を期待しています。ではまた
はしQさん、コメントありがとうございます。
FIREは基本的に庶民が行うものだと考えています。
超富裕層の中でも何十億も持っているような人は、親世代以前からの資産家か一代で莫大な資産を作ったような人達であり、そういった人たちは元々働いていないか、何かに急かされるように生きているでしょうからFIREをしないでしょう。
FIREをするのは雇われで働いている場合です。
雇われているからこそ、労働が嫌になりFIREする。
恐らくこれが基本的な原則なんでしょうね。