残念であろうが何だろうが、奴隷はお断りです

お金を運ばせる悪いヤツ FIRE前
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なぜ経営者は他人の幸福の定義を無理矢理つけようとするのか。

「早期リタイヤが人生目標」という残念さ、という記事を見ました。
タイトルから経営者が語るFIRE論の臭いがプンプンします。

こういったタイトルを見ると、社畜として日々奴隷生活を送っている私は反論したくなります。

「早期リタイヤが人生目標」という残念さ
黒坂岳央です。パーソル総合研究所の調査によると、20~30代の若手男性ビジネスマンの中でアーリーリタイアを希望する人が多いというデータがある。いわゆるFIREと呼ばれる生き方である。気になるのが彼らが「FIREしたい理由」だ。調査では約3割

ワンチャン経営者じゃない可能性もあったので、著者を確認してみましたがビジネスジャーナリストと語っていますが、独立して会社経営しているので経営者ですね。

これで無職が語っていたらある意味熱かったんですが、経営者が語る時点で内容はお察しです。

私の考えるFIRE否定派たち。その4分類について語る。
肯定する人も居れば、当然否定する人もいる。 FIREという言葉も大分市民権を得てきたように感じます。全く興味の無い人でも、ニュース等で一度は耳にしたことのある言葉になってきたでしょう。そしてFIREという言葉を聞いて、肯定的に考える人と否定...

記事では経営者が語りたがる「FIREを目指す人生は本当に幸福なのか?」という良くあるテーマで書かれています。

経営者が語るFIRE論はそもそもの前提が社畜と異なります。
搾取する側か、搾取される側かという対極の立ち位置であることが重要です。
搾取する側が搾取される側に対して語っているのです。

この立ち位置の違いから生まれる持論には、老人が若者について語っているようなズレを感じます。
言うなら「おめぇの生きてた時代と違ぇから」的な根本的なズレがあります。

立ち位置が違うので、なぜ社畜がFIREしたいのか。というFIREを語るために必要な前提事項に関する理解も、働きたくないからFIREするという前提事項に関する理解も足りていません。

賭博黙示録カイジ 8巻 94話から引用

異なる立場から語るので、社畜からすると「そうじゃねーんだよな」と感じるだけの記事になることも多いのですが、今日はこの記事について個人的な感想を語っていこうと思います。

経営者がFIREを語る前に中立スタンスを宣言する謎

記事を最初に確認して目につくのは、1つの決まり文句です。
不思議なもので、経営者が語るFIRE論にはこの言葉が高確率で登場します。
それが、「FIREを目指す人を批判する意図はまったくない」という表現です。

心の底では批判的な心情なのに、批判するつもりはまったくないという予防線を最初に張ります。
これは何を目的にしているんでしょうね。
炎上を防ぐためなのか、中立的な立場で語ろうと自分に言い聞かせているのか、最初に今からFIREをコテンパンに否定しますと言ってしまうと、読んでくれる人が減るからなのか理由は分かりません。

ですが、何故か最初に批判していませんよというスタンスを取ろうとします。
批判したいなら、批判すれば良いじゃない?とも思います。
まだ「俺は経営者、お前らの敵だ」と宣言してから語った方が、言いたいことがボケないのでマシな気もします。

おそらくこういった予防線を張るのは、経営者の臭いを消臭したいという理由もあるのでしょう。
世の中、経営者より社畜の方が遥かに数が多いです。
少数派が多数派に対して語りかけている形になるので、世の多数派である社畜(奴隷)たちが、最初から対立的な気分にならないように予防線を張るのでしょう。

また、経営者が上から語っている感を消臭したいのでしょうが、大体の場合は消臭しきれておらず、「何でわざわざ最初にそんなことを言うんだろう?」という疑問だけが残ることになります。

FIRE前と後のルール変更を知らんのけ?

なぜ経営者は他人の幸不幸を決めようとするんでしょう?
普段から従業員を扱き使いつつ、そこそこ豊かな気分にするために心を砕いているからでしょうか。

何が幸福で、何が不幸かは人によって千差万別です。
FIREしたら幸福なのか。不幸なのか。
それをFIREする前に確認するために、FIREした人たちのブログや動画を見ていますが、FIRE後は幸福であると語っている人が大多数です。

誰の命令を聞くこともなく自由であり、好きなことができることは幸福です。
この幸福感を味わいたいがために、著者も脱サラしているのだと思います。
根っこのところは、経営者もFIREする人も変わらないのかもしれません。

記事内でこの世で最も楽しいのは「育成」だと語っていますが、FIREする前は正に「資産を育成するゲーム」とも言えます。

であればFIREは幸福なんじゃないの?と思いますが、著者は不況で資産が大きく減ると、生活費のマイナス分も合わさって、資産の育成とは真逆になって苦しいのではと考えています。

これに関しては、その通りでしょう。
FIRE後は資産を取り崩す生活になりますし、その生活費の原資は投資から得るのが基本になります。
そんな命の次に大切な投資元本が減れば、苦しく思うでしょう。

ですがその後の話はいただけません。
資産運用は仕事を辞めなくてもできるし、仕事をしていればビジネスも育成できるよというのはちょっと違います。

FIREしたい人は、死ぬまでにいくら資産が作れるかというゲームをしているわけではありません。
あくまで資産運用は仕事をしないためにしています。
REのために、FIがあるのです。

そういった意味ではFIRE後は「(働かないために)資産を減らさないゲーム」であるとも言えます。

FIRE前後でゲームのルールが変わるんですよ。
FIREの目的を錯誤しているので、こういった勘違いが生まれるのでしょうね。

批判する気はないと言いつつ、ガッツリ否定する

最後の1文が正に著者の言いたいことだと思います。

労働しない人生は確かに楽だろう。だが「楽=楽しい」ではない。体が楽なだけで、何の達成感もなく、何もやりたいことや欲しいものがなく、誰からも必要とされず、誰からも愛されない。たった一度きりの人生をそのように使ってしまって後悔しない人は少ないだろう。後悔しない人がいるとすれば、無人島で一生一人暮らしでも楽しく生きられる特殊能力の持ち主だけだろう。

労働しない人生は、何の達成感もなくて、何もやりたいことが無くて、誰からも必要とされなくて、愛されない人生らしいです。
ここまで言ってもFIREを批判する意図はないと言える面の厚さが、まさに経営者ですね。

この感覚が社畜と経営者の根本的な前提の違いなんでしょうね。
仕事=やりたいこと」という前提があるから、社畜からすると「何か違うな」という気分になるのです。

FIREを語る時は、仕事を話の中心に置かないことです。
経営者にとっては仕事(自分の事業)は人生の中心かもしれませんが、社畜は違います。

そもそもRetire Earlyだって言っているでしょう。
働かないために資産を運用するのがFIREなのに、労働を中心に持ってくる考え方をしていたら話が通じるわけがありません。

不況が起きて資産が減って苦しいのも、言うなればFIREした人の自業自得です。
そういった状況をどう切り抜けていくか、それがFIREした後の楽しみでもあり、それが自由でもあります。

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