自由を求めてFIREしたはずなのに、いざ自由になると戸惑う
以前、60年以上収監された囚人が釈放されたことで自由に戸惑っているという話を、自由が制限された状況が40年以上続く社畜とかけてお話したことがあります。

何十年もの間自由を制限されると発想が貧困になり、いつしか「何をすれば良いのか?」すら分からなくなります。
FIREすると自由です。
何時に起きても良いし、何時に飯を食べても良い。
何時に出かけても、酒を飲んでも、昼寝をしても犯罪じゃなければ全てが自由です。
ですが、「今日から日中好きに過ごして良いよ。」という状態になっても戸惑いがあるのは事実です。
このためにFIREを目指してきたはずなんですが、いざ手に入ると戸惑う。
私も20年以上もの長きに渡って社畜生活を続けてしまったので、今は自由のリハビリ中です。
人生の9割がたは不自由な時間の中で生きている
自由であることは素晴らしいことだと思いますが、人間の一生で完全に自由な時間はそう多くありません。
生まれてから幼稚園か保育園に入園するまでの時間が完全に自由な時間で、その時期が終了すると、一般的には社畜を定年退職するまで完全に自由な時間はやってきません。
幼稚園や保育園に行く時に行きたくないと泣く幼児が居ますが、親は問答無用で園に連れていきますw
調教はこんなに小さい時から始まっているのです。
もちろん土日祝日はあるので、その時間は自由ですがそれはあくまで”不自由の中にある一時的な休憩時間”であって、自由な時間とはまた違うと思います。
短い休憩が終われば、また不自由な日々に戻るわけです。
学生期間は今後やってくる社畜生活の「不自由な時間」を過ごすための慣らしの場でもあります。
不自由であることに疑問を持たないように躾ていく時間です。
そうして卒業後は40年、50年と不自由な生活を送った後に放り出される訳です。
「お前は自由だ」と。
人生の9割がた不自由な暮らしをしていたのに、そうなればそりゃ戸惑うよね。
何をしても良いと言われると落ち着かない気分にもなる
私は普通の社畜の半分くらいの時間でFIREしたので、不自由だった時間は学生時代も含めて40年ほどだったはずです。
それでも長い時間ではあるので「明日も明後日も、来月も来年もいつでも何をしても良い。」と言われると戸惑いはあります。
この後のFIRE生活で毎日、何をするか自分で予定を決めて過ごしていくことになるんでしょうね。
別に何もしなくても良いし、予定を作らなくても良いはずなんですが、「完全に何も予定がない」という状態に、調教されきった体や精神が耐えられないのでしょう。
何かないと落ち着かない。
そんな気持ちになるのかもしれません。
FIREの味とは?
FIREして戸惑いも多分にありますが、甘美な時間であることも事実です。
特に朝起きた時が最も良いですね。
「あぁ寒い、会社行きたくねぇ~」という絶望的な目覚めではなく、「今日は何をしようかな?」という希望の目覚めに変わるからです。
これはFIRE後でなければ味わえない時間でしょう。
そして、これはタブーを犯しているという感覚があるからこそ、より美味に感じているのかもしれません。
日本人の三大義務と言えば、「納税、勤労、教育」です。
FIREすると義務の1つである勤労の義務を果たしていないって訳ですね。
義務はあるけど働かない。
このタブーを犯している感覚が良いのでしょう。

最近、厳格なイスラム体制が敷かれるイランで禁制品の「豚肉」がブームというニュースを見て思いましたが・・・
きっと破ったら駄目な決まり事を、破った時に高揚感が得られるんでしょうね。
豚肉は宗教的にはタブーだけど、ベーコンは美味い。
牛も鶏も美味いけど、ダメって言われている分余計に美味く感じるってことなんでしょう。
FIREも勤労は国民の義務っていうタブーを犯して働かないわけですから、それがより気持ち良いのかもしれません。
それこそが「FIREの味」なのかもしれませんね。


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