子供の頃からの習慣は変わらない
小さい頃からの習慣というのは、こびり付いた汚れのようになかなか無くならないものです。
私の場合はゲームがそれに当たります。
学生時代から社畜時代、そしてFIREした後も日常的にゲームをしています。
これはもはや習慣と言っても良いでしょう。
小学生時代は登校前に友人が集まってから登校していたので、登校前にゲームして怒られていましたし、中高も定期テスト前以外はゲームをしていて怒られていました。
そんな生活をしていると、社畜になった後も休日はゲームをすることが多く、その習慣を持ったままFIREしています。
今のZ世代がどれだけゲームをするのか分かりませんが、今のZ世代はスマホゲームが多いのでしょうか。
オッサンや同じ世代の人は、ファミコンからスーパーファミコンとゲームハードの進化と共に育ってきた世代なので、コンシューマーゲームを相変わらずプレイしている人が多いのではないでしょうか。
社畜の時は、出退勤、勤務時間で1日の半分を拘束されていましたが、そんな社畜の制約も有給消化期間が始まってからは無くなったので、有給消化期間からゲームをプレイしている時間は、社畜時代よりは確実に増えました。
制約が無くなったら、そればかりになるかと思いきや・・・
そんな昔っから習慣的にゲームをしているオッサンから、社畜と言う制約を解いたらどうなるのか?
学生時代は親が、社畜になってからは労働時間がそれぞれストッパーの役割を果たしていました。
このストッパーが無くなったら、ブレーキの壊れた車のようにひたすらゲームをすると思っていました。

それこそ寝ている時間以外はゲームをしているといった状況になると思っていましたが、意外や意外働かなくなっても1日中ゲームをしているといった状況にはなりませんでした。

FIRE後にやりたいことでも挙げたように、ゲームはしています。
していますが、せいぜい1日2~3時間くらいです。
長くても6時間くらいですね。
ゲームをしない人からすると、無駄な時間乙です。といったところでしょうか。
個人的には意外なほど短いです。
やりたいとは思っているんですが、何か気が乗らない。
1度始めても長時間は続かない。
何か原因がある気がします。
やりたい時にはできなかったのに、いつでもできるとやらない
この原因の1つは、間違いなく老化があります。
点滅したり、細かい動きをするのでまず脳が疲れます。
そして、脳よりキツイのが眼精疲労です。
ずっとモニターを見ているので、長時間ゲームをすると目が疲れる。
疲れると言うより、目が痛くなります。
瞬きすると目が痛い。
目が痛くなったらゲームを止めて、その日はプレイしない。
これが長時間ゲームをしなくなった原因の1つでしょうね。
眼精疲労もありますが、寝食を惜しんでまでゲームをすることは無くなりました。
目が痛くなっていなかったとしても、1日中はプレイできません。
昔は徹夜でもゲームしていられましたが、今のオッサンには無理です。
それにFIREしていつでも好きな時にできるという気持ちもあります。
社畜だと「やるならココしかない」というタイミングしかゲームをしませんでしたが、FIRE後は逆にいつでもできるから「今じゃなくても良いか」と思っている気がします。

そんな中で、「若い頃は楽しかったのに…」ゲームが面白く感じなくなる理由という記事を見ました。
この記事によると、脳の報酬系が変化して快楽を得辛くなるようです。
慣れですね。新しい刺激に対して感受性が低下するらしいです。
これによって退屈さを感じるようになる。
確かにタイトルは違えど、同じジャンルのゲームばかりしている気がします。
私の場合はサンドボックスとRPGばかりです。
慣れによって退屈を感じているのかもしれませんね。
昔はずーっとゲームをしていたかったですが、いざFIREして無限にゲームできる時間ができても、ずっとはゲームをしなくなる。
なかなか上手いことできてますね。
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