FIRE後は金は命より重いが冗談ではなくなるかも?
先日資産の大幅な減少で少し動揺したけど、FIRE後の精神状態はどうなるんだろうと考えた記事を投稿しましたが、XでもYoutubeでもここのところの下落で大騒ぎしている人が結構いっぱいいます。
今の私は社畜の身なので、まだ下がる余地もあるしこの程度の下落は大したことはないとドッシリ構えていられますが、FIRE後は資産=命綱になるので、命に近いお金が減っていくことに恐怖を感じる可能性があります。
金は命より重いと利根川先生も言っていましたが、そこまで行かずともFIRE後のお金の価値はFRIE以前より遥かに上がっているはずです。
FIRE前の社畜の状態であれば、最悪資産がゼロになったところで給料が入ってくれば生活に困ることはありません。
FIRE後は働かない自由を得る代わりに、生活できる最低保証の給料が無くなりますから自然とお金のウェートは高まるでしょう。
今日はFIREをしたとしても、命に近いお金が減っても何とも思わない状態
究極のFIREとは何か?を考えていこうと思います。
究極のFIREは4%ルールでは達成できない。
そんなお金の価値が相対的に高まってしまった状態でFIRE生活が始まるわけですが、そんな状態になってもお金が減っても何とも思わないなんてことはあるのでしょうか。
少なくとも私が今考えているFIRE生活では、お金のことを考えずにFIRE生活することは不可能だと思います。
私は4%ルールをFIRE達成の拠り所にしていますが、そもそも4%ルールという考え自体がお金に縛られていますからね。
25年分の生活費を4%で運用する。
シンプルですが、詰まるところいくらお金があればFIREできるかという話でしかありません。
FIRE後も平均4%で運用し続けなければいけないですし、取り崩しも当初設定した生活費以上の支出を続けることはできません。
4%と、生活費この2つの数字が計算の大本になっているんだから当然です。
そうなれば、4%ルールでFIREすれば100%お金に縛られた状態でのFIREということになるでしょう。
これは生活費の30年分あろうが、40年分あろうが変わりません。
多少計画以上に使っても問題ないと考えられるのは救いになるでしょうが、お金のことを考えないというところまでは行けないでしょう。
25年分の資産を作った時と同じように、やはりお金のことを考えてFIRE生活を送ることになるでしょうね。
究極に近い気がするのはFAT FIREか?
では究極のFIREとは何か?
普通に考えるとFAT FIREが思いつきます。
その中でも、取り崩しを前提としないFIREでしょうね。
支出についてアレコレ考えなくても良いくらいジャブジャブ使えて、投資をしなくても生活できるだけの資産があれば、お金のことを考えずに生活できるかもしれません。
例えば毎月100万円、50年分の必要資産は6億円ですが、6億円あると何の憂いもなくFIRE生活ができるかもしれませんね。
ただ、全く1mmもお金のことを考えずに生活することも不可能だと思います。
この場合は減っていく資産を見続けながらFIRE生活を送ることになるので、半分の3億円になったら、1億円を切ったらどう思うかは分かりません。
6億円をどういった手段で作ったのかにも影響すると思いますが、投資で6億円作って、作った後はスッパリ投資を止めてFIRE生活したとしても、お金のことを考えずに生活することは難しいでしょう。
何故なら考えないようにしたとしても、日々お金を使ってますからね。
いくら使ったんだろうと考えてしまうことは避けられません。
もう1つの問題は、6億円作るのに一体いつまでかかるんだという問題です。
社畜の生涯で得られる賃金が2億円~3億円程度なので、社畜の一生分2~3人分の資産です。
並みの社畜では一生働いていても到達しないでしょう。
並みの社畜である私からしても、投資があっても6億円は流石に敷居が高いです。
このまま運用が上手くいったとしても、定年まで働き続けなければ到達しないでしょうね。
早期退職できないならFIREではないので、実現性が低いという点からもFAT FIREはなしですね。
究極はやはり配当金生活か?
お金がいっぱいあったとしても、減り続ける状態では究極のFIREではない気がします。
FAT FIREは憧れはしますが、実現性を考えても厳しいので実現可能性があるレベルで考えないといけません。
そうなると、取り崩しを前提としたFIRE生活ではなく、お金が減らないFIREが究極に近いFIREになるでしょうね。
つまり配当金を貰って配当金の範囲内で生活するのが、究極に近いFIREでしょう。
配当金の嵩が、生活費の上限という制約があるため、支出について考えないということはできませんが、自分が今いくら資産を持っているかについては考える必要がなくなります。
株価が下がっても配当金が大きく減らなければ生活は変わりません。
配当株を分散しておけば、急に配当金が減ることもないでしょうし、これが一番精神的に安定しそうです。
これはかなり究極に近いでしょう。
アメリカ株なら毎年配当金が増えていく企業も多いため、年々生活費が増えていくというオマケも付きます。
ただ配当金目的の投資をした場合、S&P500に比べて資産の成長性が低いのが難点です。
そう考えると、目標額まではインデックス投資をしつつ、予定より資産が増えてきたら配当目的の株に買い替えるという手段を取ることで、将来的に究極に近づける可能性はあります。
でもどこまで行っても、投資で資産を作ってきたという実績がある以上、どんな状態であったとしても、お金のことを考えずにFIRE生活を送ることはできないでしょうね。
そう考えると、究極のFIREは投資で作ったお金では実現できないのかもしれません。
コメント
nekonabeさんオリンピックでついつい2時ごろ早起きしているはしQです。(その代わり8時には就寝の毎日です。直近の日本の成績は金メダルが有力といわれたいわゆる若手がなかなか不振で、その代わり全く知らないくらいのものすごく若い人があっさりメダルを取っています。若い人たちにも世代交代が来てるのかと思います。ネオZ世代ですね。生まれた時からSNSが各種あり、当方世代でいうところのTVに匹敵するものがSNSです。起きたらSNS、SNSで寝落ち。日本も10代を中心とした世代によって大きく変わっていくように思います。
さて本題。行きつくところは高配当いわゆる不労所得での生活費確保でしょう。年金が現状維持できたとしても、インフレとリスク資産である株の依存していては、絶対に大丈夫とは言えません。その前に配当で年間生活費を賄うには、現状の数倍の資産が必要で、あきらめるしかないです。(あとせいぜい30年ぐらいの当方にとっては、それこそ使い切れずに死ぬために節約生活を社畜のごとく続けても絶対無理です)もう一度甘々の資金計画を見てみましたが、年間15万程度の切り崩しでも100歳以上まではゼロにはならない(運用益ゼロで)になってますので、やはり年金が維持され、金融所得や金融資産課税の見直しがなければ、何とかなりそうな気がします・・・かな ではまた
はしQさん、コメントありがとうございます。
私は深夜帯に起きているのにオリンピックは全然見てませんね。
普段スポーツ観戦なんて全く興味がないので、オリンピックだけ見るというのも変なものです。
メダルとか取ると俄かファンが大量発生しますね。
愛国心なんて無さそうな人達なのに、国の代表として戦っていると思うと応援してしまうというのは何とも不思議な物です。
はしQさんは年齢的にも資産的にも今すぐ辞めても恐らく逃げ切り可能でしょう。
それでも資産が減っていくことについてどう思うかは、その人の性格だったり、それまでの生活スタイルによって違ってきます。
辞めるまでどう感じるかが分からないのが、博打的な要素でありおっかないところですね。
最悪、資産の減りに堪えられずに40代フリーターが爆誕するかもしれませんので、来年の今頃の私がどう感じているか楽しみです。